日伊歴史会議によせて
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概要
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一九八五年九月二三日より二七日の五日間ローマで第一回日伊歴史会議が開かれた。この会議の日本側の組織委員会の一員として参加した立場からその報告を述べることにする。今後このような形でのイタリアとの学術的交流も増えると思われるので、その際の参考になれば幸せである。一 組織形態 会議の主催者はイタリアのリソルジメント研究所ローマ委員会で、後援には日本側からはローマの日本文化会館がかかわったにしても、日本側の組織母体が極めて民間的な性格の強いものであるのに対して、イタリア側はイタリア外務省・文部省・文化財省・ローマ市・ラツィオ州、しいった公的機関が名を連ねた。イタリア側の力のいれようはまことにめざましく、文化財相をはじめとして、政府要人が開会式に列席するなど、我々日本的な常識から考えると、アカデミックな会合としては極めて大がかりなものとなった。こういう点はアカデミズムの世界が良い意味でも悪い意味でも政治的な影響力を強く持っているイタリアならではでの現象であろう。(またそれは逆に、アカデミズムの世界も政治の影響を受けることにもなるのだが。) 日伊双方が学術委員会を作り、会議の内容・報告者の人選・スケジュールの決定を行なった。ただし、この間の連絡はまことに難しく、最終的にはイタリア側のイニシアティブでプランが作成されたことを付しておこう。(「ローマではローマ人のように振舞え!」)。二 会議の背景
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- 1986-03-15
イタリア学会 | 論文
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