「シチリア派」生誕七五〇周年によせて
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概要
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「シチリア派」生誕七五○年というのは、けっして修辞上の誇張ではなく、十分な考慮にもとづいた年代の確定を前提としているのである。つまりそれはイタリアおよびヨーロッパの文学史上少なからぬ重要性をもつ年代設定の試みにほかならない。もし私の推論にまちがいがなく、これからかいつまんで示すデータと考察が単なる見かけだおしのものでなければ、今年一九八三年は、まさに「シチリア派」の初舞台から数えて七五○年目にあたることになる。こうした推論と考察の背景には、つとに周知の一事実がある。それはフェデリーコ帝の「公証人にして僕なる」詩派の頭目ジャコモ・ダ・レンティーをはじめとしてシチリアの詩人とプロヴァンス詩人とのあいだにみられる密接な依存関係のことである。つまりテーマの借用とか形式の模倣とかの一般的な依存にとどまらず、さらに進んで翻訳借用の実例(一三世紀紀抒情詩の歴史においてイタリアのみがその種の実例を示している。)すらみられるという関係にほかならない。
- 1985-03-30
著者
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