シチリア派の言語と文体について : Giacomo da Lentini と Guido delle Colonne にみられる
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概要
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シチリア派の言語と文体を論じるにあたっては、あらかじめシチリア派の実体とその形成の背後にあったと想定される中世的な発想について多少なりとも考察しておく必要があるだろう。なぜならそうした考察なしには言語と文体の分析の方法に明確な指針が与えられないと思われるからである。Scuola poetica siciliana と言う名称は、「シチリア派」をはじめて学問的・総合的に捉えようと試みた"La scuola poetica siciliana del sec. XIII"(1878)の著者であるAdolf Gasparyが採用したものである。フェデリーコ帝とその宮廷の詩人の興した文学運動の性格を巧みに捉えているこの新しい用語は、非常な成功をおさめた。単にpoesiaというのとscuola poeticaというのでは根本的な相違がある。一詩派にとって最大の関心事は、その頭目もしくは一定の文化的指針にもとづいて総括された詩的プログラムであり、詩のテクニックの共有という事実である。「シチリア派」の場合、このプログラムは、フェデリーコ二世の意志と無関係ではあり得なかったであろう。「たがいに緊密に結束しあい、皇帝に密着していたシチリアの詩人たちの活動は、いわば国家のための任務といった性格を帯び、詩人であると同時に官吏として国家の威信に貢献するという類のものであった」(De Stefano, 1938, p.250)。こうしたグループの活動においては、共有財産であるモチーフと文体の技巧を駆使していかにプログラムに適した作品を生み出すかに腐心することがあくまでも詩人たちの第一義的な関心であり、個々の詩人の個性とか独創性の意識的な表出はむしろ抑制されたと考えるのが妥当であろう。その結果、各作品のあいだにはいちじるしい特質性が生まれる。そうした作品間の等質性が、歴史的・状況的判断の資料の不足とあいまって、言語と文体の分析による各作品の帰属性の問題の解決をいっそう困難にしている。一般に中世の文学作品になじみのうすい現代の読者が、中世の詩、特に抒情詩をまえにしてその特質性に当惑を覚えることはまれではあるまい。モチーフについてはいうまでもないが、表現についてさえ一見ごくわずかな差違しか認められない作品群に出会ったという経験をもつ人々が少くなからずあるにちがいない。テーマの意外さはほとんど期待できず、作者はあたかも筋を知りつくした観客に向かって型通りに芝居を演ずる役者にも似た役割を与えられているにすぎない場合が多い。しかもその役者がその演技力によって芝居に個性的な色彩を付加し得る場合は、まだしも幸いといわなければならない。「≪各作品は、可能な要素の総体を変更する≫というのが理論的に真理であるとすれば、こうした変更は、中世においてはごく限定されたものであった。たしかにテキストは、過去に存在した諸要素の総合体の単なる産物であるとは考えられないとしても、見かけはそうであることが多い。それは結合素の変形なのであるが、多くの場合、とくに抒情詩においてはこうした変形は、音声とシンタックスの結構に依存する…しかし表出全体が伝統上のいくつかの等質な要素の反復にとどまり、それが一つの言表に実現されるという事実のみによって詩句の表面に走る例の戦慄を追加するのみのテキストもまれではない」(Zumthor, 1972, p.189)このような中世に特有な没個性と等質性の背景には「中世にとってすべての真理の発見は、まず伝承の権威の受容であり、…世界理解は一つの創造的機能としてではなく、あらかじめ与えられた事態の受容と模倣として考えられる」(Curtius, 1971, p.474)という中世人に特有の態度があったことは記憶にとどめるべきであろう。「清新体派」の場合にも抑制のきいた定型のなかで作詩され、グループの特長が、各作家の個性に優先される傾向のあったことはConitiniが指摘している通りである。「清新体派は、きわめて意識的かつ友好的に客観的な詩の一つの創作活動のために協力しあうという気構えをもった詩派でありScuolaという意味をもっともよく体現する詩派である。…さらに清新体派には、協調して仕事にあたるという感情的な前提があり、第一にそれは、高い教養をもつこれらの没落貴族や中産階層の詩人たちにトゥルバドゥールの騎士たちの平等性と連帯感を想起させるような友情の通っていたことである」(Contini, 1070, p.8)。作品の芸術性をはかる規準として独創性と主観性が何にもまして重要視されるようになったのは比較的近世のことであり、ロマンチシズムの運動以降のことであるといってよいであろう。清新体派における「詩の創作の実践において詩人たちの意図的な無差別性、個人の特長を強調することに対するかれらの無関心もしくは拒絶の態度は、西欧ロマンチシズムの運動によりもたらされた主観性の高揚ののちの西欧人のメンタリティーにとってはややそぐわない感がある」(ibid, p.9)。
- 1979-03-03
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