初期のパラッツェスキ
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
アルド・パラッツェスキ(フィレンツェ一八八五〜一九七四)はその長い作家生活の間に多くの転換期を迎える作家であるが、この転換期をおおまかに分けるなら、四つの時期に分けられる。本稿では主に第一期のパラッツェスキの作品な取上け、パラッツェスキの多様な作家像の一端に触れられれば幸いとするところである。彼の良い作家生活の第一期はパラッツェスキの青春時代に相当し、年代的には、一九〇五年の処女作「白馬」I cavalli bianchiから、一九一四年に発表される「反苦悩」L'antidolore までに至るほぼ十年間である。この時別にパラッツェスキは、G・P・ルチーニがイタリアで初めて採用した自由詩(Verso libero)の形態を採用し、カルドゥッチ、ダンヌンツィオなどに代表される近代イタリア詩の伝統に訣別を告げる。そして小説の分野でも、パラッツェスキは、伝統的な自然主義小説の論理的進展を完全に無視した二十世紀イタリア最初のアンチ・ロマン「ペレラーの法典一九一一」Il codice di Perelaを発表し、小説の伝統とも手を切るのである。当時としては画期的な斬新さを持つこの小説の誕生の舞台裏には、この当時パラッツェスキは、二十世紀イタリア文学を刷新すべく生まれた、二十世紀ヨーロッパ最初の前衛運動の一つ未来主義を支持していたという事実が-あったものと思われる。内容面に関しては、第一期の作品、特に一九〇九年にマリネッティの未来主義運動を支持してから以後の作品には、アナーキズムの香りが強く発散している。
- 1982-03-20
著者
関連論文
- ピエル・パオロ・パゾリーニのシンボリズムとレアリズム
- ローマ方言の変遷 : ベッリからパゾリーニまで
- 現代イタリア語における母音字省略
- イタリアにおける言語統一の過程?
- イタリアにおける言語統一の過程?
- イタリアにおける言語統一の過程?
- 伝統と前衛の谷間で
- 初期のパラッツェスキ