イタリア・カトリック運動とその大衆的基盤 : カトリック職業別労働組合の確立過程を中心に
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概要
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本稿は、二〇世紀初頭のイタリアにおけるカトリック運動の大衆的基盤の形成を問題とする。そして、カトリック運動のイデオロギー的転換と大衆的基盤の変質に本質的な影響を与えていたと考えられるカトリック職業別労働組合の確立過程を主題的に分析していく。イタリア・カトリック運動史研究も、第二次大戦後の新たな出発からほぼ三〇年を経過した。この研究史を要約するならば、(一)「国家-教会」関係史という図式の克服(二)カトリック《平信徒》の存在証明の二段階に尽きる。第一段階でいう「国家と教会」では、一群の国家支配層と教皇庁聖職者官僚との間に生ずる政治・外交上の力学が研究対象となっていた。したがって、歴史とは指導者の歴史であるという歴史観が根底に横たわり、その目標価値もつねに「国家と教会」の《和解》におかれていた。換言すると、イタリアに特殊な自由主義の達成が目標とされ、「保障法」であれ「ラテラーノ協定」であれ法制的、それゆえ形式的な成果で充足する嫌いがあった。これに対し、第二段階は、デ・ガスペリのキリスト教民主党を抜きにしては考えられない。戦後民主主義の価値の担い手としてカトリック《平信徒》を再規定することが問題であった。そこでは、大衆民主主義社会において価値が多元的であるとするならば、カトリック教徒にも様々な政治的・イデオロギー的立場がありうる、という前提が基本的に承認されていた。そこから、新しい史料の発掘に基き、カトリック運動の起源を中心としたその指導者個々のイデオロギー研究および地域別研究といった文献学的・考証学的蓄積が進んでいった。しかし、ここにも限界があった。それは、カトリック運動史研究に従事する研究者の大半を占めるカトリック信者研究者に内在するアポロジカルな観点のもつ限界である。彼らは、確かに未知であったカトリック運動の指導者やイデオローグを発掘し、いわばその《聖者伝》を書きしるしはした。しかし、これら指導者個々の思想やそれに基くイニシアティヴの集積が、果たしてカトリック大衆の実践に相当するといえるであろうか。もし、彼らがイタリア史にカトリック《平信徒》の存在証明を記すことでその役割を果したとするならば、その役割はもう尽きたと言わざるをえない。彼らの決定的な弱点とは、カトリック運動と言いながら《集団》あるいは《大衆》の観点が取れなかったことにある。(そして、非宗派的研究者に対して宗教的動機を強調しすぎるあまり、ともすれば宗教的動機というものを神秘化し、その了解への道をあたかもカトリック信徒だけの特権のごとく独占しがちであったことも付けくわえねばなるまい。)事実、彼らの観点からは、《大衆》運動としての固有の論理や構造といった問題が完全に抜けおちていたのである。こういった限界を突破するための方法は、まず、《大衆》としての具体的な組織実態を記述的なレベルで十分に把握することである。その上にたってはじめて、カトリック運動が大衆運動という形を通して再生産されゆく《運動》の構造そのものが、理論的に解明されるのである。しかし、こういった観点に立った実証研究は、始まったばかりでもあり、その成果は未だ乏しい。したがって、本稿では、十分な記述的データを用いることができなかったので、カトリック職業別労働組合の形成を中心に《宗派性》の分析を軸として一つの理論的な仮設を提起するにとどまらざるをえなかったことをお断りしておきたい。
- イタリア学会の論文
- 1978-03-20