T・S・エリオットの『ダンテ』
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概要
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T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot 1888-1965)が趣味の良い、頭の切れる文芸批評家で、また二〇世紀前半のイギリスの詩界にある種の革命をもたらした詩人であることに、誰れしも異論はないだろう。この研ぎすまされた感受性(sensibility)と知性(intelligence)を兼ね具えた詩人・批評家は、「彼(芸術家)の批評は批評で、芸術家以外の多くの人に致命的な欠陥としてあらわれがちな、あの抑圧された創作意欲を満足させたような代物ではない。」(his criticism will be criticism, and not the satisfacton of a suppressed creative wish-which, in most other persons, is apt to interfere fatally. 'The perfect critic', 1920)とか、「批評家と実作者は大いに同一人物であることが望ましい。」(it is to be expected that the critic and the creative artist should frequently be the same person. 'ibid.')とかいった酷薄な評言で世の職業批評家を慄然とさせたり、「たとえば『神曲』には、意味がやっとつかめる程度の(イタリア語の)基本的な語学力しかない初心者にさえ圧倒的な美の印象を刻むような詩句がここかしこにちりばめられている。この印象は非常に深いもので、それ以後研究や理解を深めても、その印象がより強まるといったことはない。」(There are, for instance, many scattered lines and tercets in the Divine Comedy which are capable of transporting even a quite uninitiated reader, just sufficiently acquainted with the roots of the language to decipher the meaning, to an impression of overpowering beauty. This impression may be so deep that no subsequent study and understanding will intensify it. 'ibid.')と文芸に携わる者にとっては当然過ぎることを言って彼らを安堵させたりした。この「批評家と実作者は大いに同一人物であることが望ましい。」という考え方は別に目新しいものではないが、「純粋な批評のあらゆる形態は創作に向けられている。詩の歴史的あるいは哲学的な批評家は、歴史あるいは哲学を創造するために詩を批評する。したがって詩の批評家は詩を創るために詩を批評する。」(Every form of genuine criticism is directed toward creation. The historical or the philosophical critic of poetry is criticising poetry in order to create a history or a philosophy ; the poetic critic is criticising poetry in order to create poetry. 'A Brief Treatise on the Criticism of Poetry', 1920)というエリオットの本音からすればこれは必然の帰結であり、彼は創作家としての創造的緊張(creative tension)を高めるために、古代から現代にいたるさまざまな詩人の作品を漁り歩いた。十四才頃にはすでに『オマール・カイヤーム』の生と死の和合による官能的な世界に身をひたし、十六才でベン・ジョンソン(Ben Jonson 1572-1637)風の詩を書き、詩人でもあった母シャーロットをして「私が今まで書いたどんな詩よりもすばらしい。」といわしめたこのオリオット家の小さな詩人は、一九二三年九月、かなりの誤植つきの詩集『荒地』がイギリスで単行本として出版された時、当時の文学青年たちを動かすだけの大きな詩人に成長していた。その間の事情について、その頃すでに小説家として名をなしていたE・M・フォースターは一九二八年こう書く。「エリオット氏の作品-とりわけ『荒地』という作品-は、彼ら(十八才から三〇才までの読者)に深い印象を残し、それはまさしく彼らが必要としていた糧(かて)を与えたものだった……氏は当代きっての重要な作家(オーサー)である。」今日、この糧がどういった類のものであったかはかなり研究が進んでいて、筆者がつけ加えることは何もない。ただ、詩において詩人が己れの論理とか感情を一つの枠組に組織化することを極度に嫌ったエリオットが、作品と作者との間の倫理的統一を認めなかったのは当然としても、『神曲』において己れの論理と感情をカトリック的な体系のなかであますことなく表現し、したがって作品と作者との倫理的な統一を非常に顕著にみせているダンテを、エリオットはなぜあれほど高く買ったのかという疑問は残る。
- イタリア学会の論文
- 1976-10-01
著者
関連論文
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- Etienne Gilson : La《mirabile visione》di Dante ; 11 Veltro, Societa Dante Alighieri, 5-5 1965.