グイド・グイニツェッリ論
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概要
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グイド・グイニツェッリ(以下Gと略す)の清新体派での位置が、直截な批評眼を備えていたダンテによってきっちりと定められ、ほぼ六世紀半が経った。しかもGの位置は、人をめったな事では賞讃することのなかったダンテの《賢人》《私の父ともいうべく、また私よりもすぐれたうるわしい上品な詩をつくった人たちの父》《最大なる詩人》といったような手放しの讃辞を通して規定されたのであるから、これはただ事ではない。それゆえ後の文学史家は、Gの名と同一視されるまでに有名なカンツォーネ《AIcor gen-tile rempaira sempre amore》の詩的卓越性を繰返し指摘せざるをえなくなったようである。そして現代の研究者がGを評価するに際して一致しているのは、Gが《空想的詩人(フアンスタテイコ)》であり、《視覚的詩人(ヴイズイーヴオ)》であるという点だ。Gがこのように規定されるには、それ相当な理由がある。にもかかわらず、Gをそう規定してみた所で、それからはみでる部分が彼にはあり、そのはみでた部分こそがGにおいては重大な意味がある。というのは、正しくそれがGのダンテに落した影であったと考えられるからである。ではその影とは何であったか、それがこの小論で目指されることである。
- イタリア学会の論文
- 1971-01-20
著者
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