ダンテとフォレーゼの喧嘩詩(テンツオーネ)
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概要
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ダンテを語るにさいして決して見逃がしてはならない要素、つまり彼が現実にそれを生き、また生きるだけにとどまらず、文学という一つの芸術的な精神営為を通してそれを現実化した、といってわるければ、昇華したものは二つある。それはベアトリーチェとの恋愛体験と母国フィレンツェからの追放である。前者の延長として作品に姿を見せるのは、全き精神的な愛におのれの詩心をかきたてる男ダンテであり、後者の延長としては、不当な法王の仕打ち、つまり論理を踏みたおしてその歩を運ぶ政治の現実(政治の現実のありようは、ダンテの時代、つまりコムーネ社会では、巨大化しただけにそれだけ細分化され、その夥しい社会細部にまっとうな政治的視点を見うしないがちなわれわれの想像力がとどかないほど、身近かなものとしてあったということは銘記しておかねばならない)というものにいい知れぬ義憤と軽蔑を感じ、個としての反逆におのれをかけ、その反逆を貫くべく学に血路をひらいた男、ダンテの姿がある。したがってダンテが中世的か、近代的かという種の議論は言葉のあそびといっていいし、また彼が「神曲」中で、神学的(それゆえ、中世にあっては政治的)イデオロギーという腰の業物を振りまわしすぎているからといって、クローチェのように詩《poesia》と構造《struttura》あるいは詩《poesia》と反詩《non poesia》などといった批評手法上のいわれだけでものをいってみたところでしかたのないことである。なぜそれがしかたないかは自明のことである。それは、ダンテという十四世紀フィレンツェの詩人は「神曲」をあゝいった形で仕上げたのであり、その仕上げざまにこそ彼の個性があるというのが正当だからだ。広義のアナーキズムの申し子とも言える文学の場で、ただ論理化されたにすぎない単一の批評的視点からだけものをいう以上に不毛なことはない。したがってダンテとフォレーゼの喧嘩詩をわざわざ取りあげることに多少の危惧がないわけではない。というのは、このダンテ、フォレーゼ各人から三歌づつ、計六つの歌(ソネット)からなる暗嘩詩は、前にも少し示唆しておいた意味で、あまりダンテの本質を浮き彫りにしてはいないとの認識があるからだ。つまりダンテには、イデオロギーを前面に出して詩などを書くべきではないというクローチェ流の観点を凌ぐだけの必然性に動かされたところがあり、ダンテを理解するにはこの点をおさえておかないとどうにもならない。ただ文体というものが文学にあってはかなりの重みをもつものであるとするなら、ダンテとフォレーゼの喧嘩詩はダンテの核心らしきものと深くかかわっているということがいえる。それゆえ通常いわれているところの《清新体-Dolce stil nuovo》的傾向と、この喧嘩詩に窺える、いわば一種の《現実主義滑稽文学-Letteratura burlescae realistica》的傾向とのかみ合いを視界に据えることで、かなたにどうやらダンテらしい像がみえてくるのではないか。思想的にみればまずダンテらしいところのないこの喧嘩詩を取りあげた根拠はここいらにある。
- 1973-03-20
著者
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