クローチェの「ダンテの詩」をめぐる「神曲」問題論争について
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概要
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一九二一年はダンテ没後六百年祭にあたる年である。そしてそれは、この年世に出た二つの作品によって、ダンテ批評史上大きな転換点を示す記念すべき年であったと言われる。その作品のひとつはM・パルビ、E・G・パローディ、F・ペッレグリーニ、E・ピステッリ、P・ライーナ、E・ロスターニォ、G・ヴァンデッリ等の著名な文献学の権威者たちの手になる原典批評研究決定版「ダンテ著作全集」であり、もうひとつはB・クローチェの「ダンテの詩」であった。歴史学派は、ダンテ研究の上でも広汎な貢献をなしてきたにもかかわらず、この記念すべき年に、過去の業績を集大成し、代表させるようなただ一つの作品すらもたずに臨むことになった。前者は、この歴史学派の英雄的時代の慕を閉じるものとなったと考えられている。後者は、それまで優位を保っていた伝統的な歴史主義的・文献学的方向から、新しい文芸批評の審美主義的傾向への転換を決定づけるものとなったと言われる。このクローチェの論文は、数年後(一九二五-二七)フォスラーの著作の第二版刊行により理論的支援をえて、「神曲」に関するいくつかの問題を精力的に個別化していったのである(「神曲」の生成、詩的統一性、構造と詩との間の関係、思想と詩との間の関係といった問題)。クローチェが提起し解決しようとしたこれらの問題は、ありとあらゆる形で論議され弁証法的に展開されて、「神曲」問題についての長い論争史を形成していったのである。さて、クローチェの「ダンテの詩」は、ヴィーコ的・デサンクティス的要請を誇張しつつも、美的価値をますます完全に分離させていこうとする文学嗜好の全プロセスを要約するものとされる。さらに、ダンテ研究のその後の発展にとってそれに劣らぬ重要性をもつもうひとつの側面として、クローチェが「神曲」の美的問題を提起・解決したあの厳格な理論的・方法論的首尾一貫性が挙げられている。「神曲」問題に関しては、とりわけL・ルッソとA・モミリアーノ(1)の貢績が決定的なものとされているが、先に述べた理論的・方法論的首尾一貫性によってクローチェの理論を批判的に継承・発展させ、「神曲」問題に一応の決着をつけたのがL・ルッソであろう。「神曲」問題をL・ルッソがどのように解決していったかを眺めることは、「神曲」問題に関する論争史の整理・要約の過程を眺めることであり、本ノートの目的もこの点にある。
- イタリア学会の論文
- 1973-03-20