「グィチャルディーニの思想」 : リコルディを中心としてマキアヴェリとの対比で
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概要
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マキアヴェリに遅れること十四年して同じフィレンツェにグィチャルディーニは生れた。彼はその『思い出』Ricordadanzeの中でこう記している。「子供のころ注意深く子供を育てた父親ピ***の希望で、私は人間を作る教育、フマニタスの教育を受けた。ラテン文学のほか、ギリシャ語についても少々学んだ。ただしギリシャ語は他のことを勉強している何年かの間に忘れてしまった。また充分算盤を習い、論理学もいくらかやった。論理学についてはあまり進まなかったが、法律を勉強し始めるまで続けた」。当時のフィレンツェの支配階級の子弟の受けたごく普通の教育を受けたことがわかる。そして一五〇一年法律の勉強のためフェラーラ大学へ留学した。法律は数年前から始めていたが、フィレンツェ内の困難な状況が、父親をしてフランチェスコに国外行きを望んだのである。しかしフェラーラ大学に満足出来ず、二年でバドヴァ大学へ転じた。あと少々の曲折を経たのち、法律の実務を開始し、一五一二年から政治の世界への入口に着いた。使節としてスペインのフェルジナンド王の宮廷へ派遣されたのが始まりである。この年の一月二九日彼はフィレンツェを発った。そしてフェルジナンドが住むブルゴスへ二ケ月近くかかって着任した。すでにこの日数のうちにマキァヴェリとのちがいが出ている。マキァヴェリは任命されれば、それこそ矢も楯もたまらず、馬を駆って着任地へ急ぎ、独特の情熱をかたむけて仕事に邁進した。しかしグィチャルディーニはゆうゆうと落着いて、周囲に気を配りながら、しずしずと三月二三日にフェルジナンドの宮廷に着いた。そこで彼は何を学びとったのか。彼はその著『Ricordi』の中でこう書いている。「私がスペインへ大使として行っていた時、あのアラゴンの賢明でりっぱなフェルナンド王の宮廷で、私はいつも彼がなにか新しい企てに乗り出そうとするとき、あるいは他のなにか重要なことをしようと望むとき、いつでも初めはそれを一般に公開せず、しばらく経ってからその計画を正当化するのを観察した。しかもその時彼は全く正反対のことをした。彼はまことに巧みにそれを処理して行ったので、王がどんなことを考えているのか誰にしろ知る前に、王はこのような理由からそうせねばならなかったと、納得されるようにして行った。そうしておいて、王は誰もがすでに正しいと考え、必要だと考えていることをしようとするかのように彼の意図を明らかにしたものだ。そして彼の決定は信じられないような好意と称賛とを以って受け入れられたものだ」。また「人間が持ち得る最大の幸運の一つは、自分の利益を公共の善のためにしたかのように思わせる機会を持つことだ。それこそカトリック王の企てがあのように名誉ある評判を得たものであった。それらの企てはいつも彼自身の安全のため、あるいは自分の権力のため始められたことであった。しかるにそれらの行為はしばしばキリスト教の信仰の増大のなめ、あるいはキリスト教会を守るためになしたかのように見えたものであった」。こういう君主のあり方をそこで見たのである。子供の頃からAlcibiadesという綽名をつけられていた彼は、それが現実の政治の中で生かされているのを見た。そういう欺瞞が人間としていいことだとは彼は思わなかった。彼は繰り返し欺瞞は嫌だと述べている。しかし現実にはそれが行われている。彼の現実主義はそこで嫌だけれどもある時には欺瞞もやむを得ぬと肯定する。「誠があり、屈託のない性格は一般に好まれ、また確かに高貴なことである。けれどもそれは時として有害でもあり得る。人間の不正な半面があるのだから、欺瞞は有益で時として必要である。けれどもそれは厭わしい醜いものである。かくして私はどららを選んだらいいかわからない。私はあなたが一方を捨てずにもう一方を選ぶのが必要であると思う。すなわち物事の秩序ある普通の状態では前者をしなさい。その結果誠実な人物であるという名声をあなたは得ることになりましょう。そしてそれにもかかわらず、重要で稀な場合には欺瞞を用いなさい。もしあなたがそうすれば、あなたの欺瞞はより有益で、より成功するものになりましょう。というのは誠実な人物という評判を得ているのだからあなたはより容易に信用されるようになるからです」。しかし「いつも欺瞞と奸計で生きている人々を称えることは出来ない。時としてそれを使う人を許すことが出来る」、として現実に合わせた。彼はあるべきことと、あることとの間を結局熟慮discrezioneということでつなごうとした。時間をゆっくりかけるということ、ただし無行動主義とは全くちがう。事体がはっきりしていれば敏速果敢に進むことを教える。しかし「莫然としているときには時間をかけよ。そうすれば自らよくなるものだ」。マキアヴェリのように極端に一方を進めることなく、常に時間をかけ熟慮することで生きる道を
- イタリア学会の論文
- 1972-01-20