『一四八〇年の国制改革』 : ロレンツォの意図したもの
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概要
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ルネサンス時代のフィレンツェの名家、その盛時はコシモ・デ・メディチから彼の孫ロレンツォ・デ・メディチにかけての時代であったが、普通この二人が政権を握っていた時代の政治についてはメディチ家の独裁制の時代であったとか、寡頭制の時代であったとか言われている。ロレンツォ自身についても従来独裁者であったとか、君主であったとか言われているが、彼の政治の基本性格は必ずしも明らかではないように思われる。そこで本稿はロレンツォの政治権力の性格を具体的にパッツイ事件以後のロレンツォによるフィレンツェの国制改革の過程に焦点を絞って考えてみたい。そこに焦点を置くのはロレンツォの政治の性格がはっきり形成されたのはパッツイ事件以後のことだと考えられるからである.ヴェネツィアと異なってフィレンツェはいつも国制改革に手を染め、非常に流動的であったのであるが、そういう国制改革の中で、一四八〇年のロレンツォの改革の意図はなんであったのか。
- 1971-01-20