ダンテ・ペトラルカ比較論の伝統 : ルネサンス初期における
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概要
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イタリア最高の詩人ダンテとペトラルカ、この二人の文学者の関係を論じた書物は、古くからあり、かなりの量にのぼる。いま、そうした書物の歴史を調べてみると、十九世紀後半を境いとして、著者の興味に急な変化があることに気づく。近代では、ペトラルカのダンテ観という主題が、それ以前では、ダンテ、ペトラルカ比較論という主題が目を引く。前者について言えば、それは今日に尾を引いているペトラルカ研究上の重要テーマの一つである。十九世紀後期に、フラカセッティ、カルドゥッチらの文献学者が出現して、この分野の基礎資料を次々と掘り起こしてから、急速に研究が進歩したのである。またその頃から二十世紀の初めにかけて華々しかったルネサンスの概念をめぐる論争も、この研究に拍車をかけた。歴史家や文学研究者たちは、両作家の質量両面での古典教養の差、近代性の差違を競って検討するようになった。だが、このようなとぎすまされた近代の諸成果から眼を転じて、古い時代へと遡ってゆくと、両作家の《比較論》という主題が有力なものとして浮びあがってくる。言いかえれば、近代のペトラルカのダンテ観研究というテーマは、この《比較論》の幹の上に花を咲かせたと言える。また前者の近代的意味での比較文学的、実証的研究テーマは、その前史として、《比較論》の伝統をもったとも言える。さて、《比較論》が、十四世紀以降、豊かな伝統を形成していたということ、その点はイタリアの研究者にも認識されている。とくにダンテやペトラルカの影響史(フォルトゥーナ)を専攻している研究者のなかで、漠然とふれられている。だが《比較論》の伝統、それ自体を対象とする研究は、現在のところ、試みられていない。しかも、両作家の《比較論》というテーマは、たんに修辞上、あるいは文学研究上の問題にとどまるものではなく、より幅広い文化史的問題ともなっている。それゆえこのヴェールに包まれた伝統に照明を与えることは、ただ両作家の作家像の深化の過程を知ることだけではなく、数世紀を通しての時代の美意識の変化や、文化の特色を明らかにすることにも通ずる。いまかりに、各時代ごとの、両作家の一般的評価とその背後にある文化史上の重要問題との連関性について、素描してみよう。ルネサンス前期、十四・十五世紀において、両作家に対する評価は、おなじように崇拝型から始まり、やがてペトラルカ優位へと傾く。この傾向には、人文主義運動の性格とラテン語対俗語使用の問題が密接に係わりあっている。つづく十六世紀、ペトラルカ優越は圧倒的であり、その背景には機上の問題のほか、トスカナ語対宮廷語をめぐる国語論争と文学理論の問題が加わる。十七・十八世紀は、二人の作家への関心が急激に衰える。その退潮に影響があったのは、バロックや啓蒙主義の荒波である。そして十九世紀に入ると、十六世紀のペトラルカ優越の現象とは逆の動きが起こる。国家統一期(リソルジメント)の、政治意識の昂まりを鋭敏に反映しつつ、ダンテが新たに脚光をあびる。それまでの彼は、古典文庫の一冊として、多くの知識人の書庫に眠っていたにすぎない。ところで、こうした伝統をあとづけるに当たって、実際にどの作家から取り上げるのが妥当であろうか。現実に、《比較》の一節を最初に書いたのはベンヴェヌート・ダ・イモラである。《比較論》を一章として初めて発表したのはレオナルド・ブルーニである。だが十四世紀の作家ボッカチオから始まり、そして最後のロマン主義者デ・サンクティスとともに、その華やかな幕が降りると考えるのが妥当ではないかとわたしは思う。『デカメロン』の作者ほど、十四世紀において、両作家の人間性と文学に精通していた人物はいない。彼の作品には数多くの注目すべき見解が含まれており、その比較の意識は、その後の《比較論》の伝統の骨組みとなっている。また十九世紀について言えば、フォスコロの《比較論》はあまりに有名である。だが、彼以後の人、デ・サンクティスにおいて伝統に終止符が打たれたと考える方が望ましい。なぜなら、比較の見解は彼の手でもっとも見事に完成するからである。しかもその後において、実証主義の進出は、《比較論》を《ダンテ観》へと移行させた。また比較の試み自体が、作家の純粋な詩精神(ポエジー)への肉迫を求める近代の文学批評の要請の前で、批評の付属的役割へと大きく後退することともなった。このように考えてみると、ボッカチオからデ・サンクティスまでの《比較論》の流れはまことに興味深いものがある。たんにブルーニやフォスコロのごとき、まとまった形の書物だけをでなく、かなり多くの文学者について、比較の意識を検討することが、この分野の問題となろう。とくにルネサンス後期では、ボルギーニの名を、十七世紀のヴィーコ、啓蒙主義のベッティネルリ、ロマン主義前期のアルフィエーリの名を見落すことはでき
- 1971-01-20
著者
関連論文
- Anonimo Romano : Vita di Coladi Rienzo, a cura di Arsenio Frugoni, Firenze, Le Monnier, 1957, pp.227.
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