Anonimo Romano : Vita di Coladi Rienzo, a cura di Arsenio Frugoni, Firenze, Le Monnier, 1957, pp.227.
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概要
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ローマの護民官を自称して、貴族支配の政治に反抗し、古典古代の栄光をとり戻そうとしたコーラ・ディ・リエンツォ、その生涯は今日もなお、少なからず伝説の霧に包まれている。しかし、彼の伝記研究については、さきにPaul Piur : Cola di Rienzo, Wien 1931の名著が出ており最近もまた、V.Fleischer : Rienzo, London 1948の漸新な研究書が出版されるなど、次第に明確になってきている。前者は、衆知のごとく、ブルダッハとともに、コーラの書簡を紹介して、護民宮の思想の底に、ヨアキム的神秘主義とローマ的精神とが、渾然として流れている事実を指適し、中世とルネサンスの連続性を強調した研究者である。(K.Burdach, P.Piur : Vom Mittelalter zur Reformation 1912〜30 Berlin 4 Vols.)ところで、ここでとりあげるAnonimo Romanoの『コーラの生涯』は、彼の伝記研究の重要な古い資料の一つである。そのため、上述の研究書のなかでも、随所に、引用されている。この書物は、表題の示すとおり、ローマ出身者と推定される一人の氏名不詳の者の手で書かれている。そして、同じ著者によるラテン語の年代記『ローマ史断章』Historiae Romanae fragmenta(全二十八章)の一部分(第十八章と第二十七章)を書きあらためたのではないかと推定されている。この年代記については、不完全な形ちながら、Muratoriが、初めてAntiquitates Ital.Medii Aevi, tomo III, coll.251〜546, 1740のなかに収め、紹介している。年代記は主に、一三二五年より五七年までに、ローマで起った出来事を記録しており、ときおりヨーロッパ諸国やトルコの情勢などにもふれている。しかし今日、唯一のものであるこのムラトーリの版では、全体二十八章のうち、完全な体裁のものは十三章にしかすぎず、六章は全く無く、残りの章も脱落が目立つ。年代記の原著者については、著者がボローニア大学で医学を専攻したこと、またこの記録を一三五七年から五八年にかけて書いたことが、知れるだけである。このロマーノの『コーラの生涯』は、年代記のなかで、コーラに関係のある箇所のみを、ローマ方言の要素を含む俗語で書きあらためたものと考えられる。しかも、本書は、平易な俗語を用いて、興味深い内容が物語られているために、前者に比較して、幅広い読者を掴んだようである。現存する写本が約五十点にのぼること、(古いものは十六世紀後半のものである)が、それをよく物語っている。しかもそれ以前の写本は、一五二七年の有名な《ローマの掠奪》の機会に失われたのではないかと云われている。
- 1967-01-20
著者
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