タッソの幽閉について
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
イタリアのCinquecentoに燦然と輝やく特異な作品を残したルネサンス最後の桂冠詩人Torquato Tasso(1544-95)の生涯は、誠に波乱に富んだものであった。父Bernardo Tassoに宮廷生活という宿命の星の下に生れ、再び父の如く宮廷詩人となったTorquatoの運命は数奇を極め、宮廷から宮廷への放浪に纒る数多い作品の中でも、その最も彩たるものは、何と云ってもFerrara時代のものであろう。その幸福の***から《幽閉》reclusioneという逆境へと変わる試練にも耐え苦悶する、この頃のTassoの姿を理解することは、彼の作品の奥を探知する意味からも意義がある。何故なら、彼が最も多く且つその心情を卒直に吐露した作品を書き、しかも優れた詩編を残したのもこの時期であったからである。事実、彼が仕えた君主によってSant'Anna精神病院に幽閉監禁されていた時期、一五七九年から一五八六年まで、即ち三五歳から七年間の期間が、いわば人生で最も大切な青年時代の貴重な時間を孤独と絶望の中で過したことが、彼の文学面でプラスであったか否かは判断し難い多くの要素を学んでいる。Tassoの作品のあちこちに現われている如く、彼の生涯の特色は《逃走》fugaの連続であった。北イタリアの原籍地Bergamoから南イタリアのSorrentoへの家族の移住、Torquatoのこの地での誕生から再び北イタリアFerraraへの移転等、変転限りない生活であった。これも所詮彼の奥底に潜む天才と宮仕えの宿命の悪戯であったかもしれないが、いずれにしても彼の秀でた詩作品が、苦境の中から生れていることは最大の関心事である。biografoにとっては《Tassoの生涯》こそ垂涎おく能わざるものであろうが、特に幽閉前後の事情を理解してみることもTasso研究の重要なポイントであるから、今から逐次その模様を検討して行こう。
- 1962-12-30