徳川時代の鳥類芸術 : 鷹狩制度と同時代博物図譜
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概要
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博物画のジャンルが美術史学上の考察対象であるという認識は、西洋美術史学上ではすでに歴史的な常識である.しかしながら日本美術史学上では、そうした常識はようやく10年ほど前から意識されるようになったばかりである.そのために日本の博物画の多くは、現在もいまだ美術史・美学的考察を与えられぬまま所蔵者の手元にあって、ひっそりと保管されているものが少なくない.こうした状況のために18、19世紀の江戸時代に制作された博物画が、同時代のヨーロッパの博物画と比較しても、その写実性は高水準であったという事実が、現代の欧米諸国には残念ながら知られていないという実情が存在する.江戸時代博物図譜の種類は、版本、肉筆本、抄訳本(翻訳本)の、大きく三つに分類することができる.このうち特に重要なのは肉筆本である.これらの作品の大半は大名たちの要請によって制作されたもので、美術品としての価値がとりわけ高い.本論考で取り扱う博物図譜はこの種のものである.大名の肉筆博物図譜には、植物・動物・魚介類など様々な種類が存在する.なかでも遺存数が目立って多いのが鳥類の図譜である.これらは数の上だけでなくその質の上において、獣や植物の図譜に比すると格別の出来になっている.なぜに江戸時代の鳥類図譜は特別な様相を見せたのか.本論考はこの疑問に答えるために、以下のような三つの視点から考察をすすめる.1)鳥と江戸時代大名の関係を考える上で、第一に問題となるのは、当時の「鷹狩」の習慣である.日本絵画の主題の一つとしても「鷹狩図」が存在するが、この種の絵画に対する検討は、ほとんど行われてきていない.「鷹狩図」は江戸時代では、掛け軸だけでなく、絵巻物や屏風、また室内を飾る襖絵にも描かれた.例えば久隅守景筆「鷹狩図屏風」は大画面の代表的な作例である.この屏風絵に描かれた内容は、当時の鷹狩制度を知ることによって、実はこと細かに「読む」ことができるのである.そこで本論ではとくに考察を試みることとする.2)江戸時代の鷹狩習慣については、"大名の娯楽"としてのイメージが一般に強いが、実は政治的「制度」として存在していた.しかしながら、1868年の大政奉還によって、千年以上の歴史を誇ってきたこの制度と伝統は完全に消え去り、同時にその文化的意義も人々の中から忘れられてしまったのである.本論では「鷹狩」の制度が江戸時代の文化に対して及ぼした影響-具体的にいえば、民衆の生活や芸術面、また科学に与えた意義について考察し、また鷹狩が儀礼や秩序を重んじる政治機構として働いていたことを紹介する。3)さらに興味深いことに、江戸時代の鷹狩制度は、「飼鳥」という特異な趣味を、大名にもたらすことになった.これは、18世紀における博物学隆盛の世界的風潮とも密接に関っていることは言うまでもない.大名たちは鷹狩の機会に珍しい鳥を見つけては生きたまま捕獲し、大切に城に持ち帰った.彼らはこれらを城内の鳥小屋で飼い、コレクションしたのである.さらに彼らは「鳥屋」と呼ばれる商店からも多くの鳥を買い上げた.「鳥屋」とは文字通り、鳥を商う商店のことを指したが、そこでは食肉用の鳥のほかに、高価な異国鳥、観賞用の鳥も扱っていた.私は、明治時代に発行されていた雑誌『風俗画報』に、同商に関する幕末当時の様子を報告した記述を見出したので、これを例示したい.この「飼鳥趣味」こそが、大名の鳥類図譜を突出させて完成度の高いものにしたのである.以上のような観点から、従来「花鳥画」という用語を用いて、簡単にひとまとめにされてきた江戸の「鳥を描いた絵画」は、その用語の枠を一度はずすことによって、「江戸時代鳥類芸術」という独立した言葉が与えられるほどに、新たな歴史的意味を持ち始めるのである.
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