バロック時代におけるキリシタン大名有馬晴信についてのイエズス会による演劇
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概要
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ヨーロッパのルネサンス後半からバロック時代前半にいたる日本像には顕著な傾向がありました。それは新宗(プロテスタント派など)の強化に対し、模範的なカトリック信仰であるIAPONIAといったイエズス会幹部などによるイメージ作りであった。日本滞在の布教師の書簡、年間報告などの公開(出版)や、同修道会の物語集と演劇の中の日本ものなどには一貫してこの政策が見られます。本稿(続3)は日本をテーマにしたイエズス会学校劇の特徴をこの反宗教改革的な側面からつかもうと考えていますが、さらに、16世紀後半、日本のカトリック伝導についての新・旧派のあいだの論争や最近の研究にまで響く対立をいわば「宗教戦争」の名残として論じたいと試みています。-続1と2(有馬(晴信)劇,オーストリア・インスブルク市、1734年初演-のドイツ語原文と和訳、参照:関西大学「独逸文学」第46号、47号)に引き続いて、今回の続3には資料提供として、中国の「二十四孝」、浅井了意の「大和二十四孝」などに関連する一編のイエズス会の物語(17世紀後半出版)を和訳つき1)で掲載します。(資料追加部参照)。
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