『日知録集釋』註釈 [第四回]下
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概要
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昔、魏文帝曹丕は、「文人相ひ軽んず」るのが古来の習いであることを、自身の体験を通じて熟知しながら、なお「文章は経国の大業にして、云云」と断言した。「文人」たちが、それぞれに己が文才に対する自信と懐疑とに思い悩みつつ、しかも孜孜として思索と操觚の工夫を重ねるとき、やがて後世に伝わる文章を残すに違いない、と確信していたからである。果せるかな、彼は、いわゆる建安七子の中からただ一人、『中論』をものし得た徐幹のことを「一家の言を成し」た者と認知したのだった。今、顧炎武の、文章に寄せる期待はもちろん曹丕のそれと相い通じる。前条《文須有益於天下》においては、文章は何よりも経術と密接たるべきであることが力説された。本条《文不貴多》では、前条を踏まえて、経世致用を旨とし天下・後世に伝播されるに足る文章の出現が希求される。この時、文章は寡作たるべし、と顧炎武は主張する。
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