Ikonographie des Padagogiscen : Zur Abstand-Bereitschaft in der Erziehungsvorstellung
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概要
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図像は知識の媒介機能をもちうるのか。これは,文化理解における「見ること」と「知ること」の連関に向けられた問いである。もし,知識が言語を媒介としてのみ獲得されうるものと規定するならば,図像は知識の媒介機能をもちえない。しかし,知識が言語を媒介とすることなく伝達されうるものと措定するならば,図像は知識の媒介機能をもちうるという考察が可能となる。本稿は,図像と教育学的知識との連関を明らかにすることによって,教育営為において無意識に働く「教育現実との直接対決回避指向」を浮き彫りにする試論である。パノフスキーは,製作者の意図の如何によって,「見る」対象としての芸術的なもの(=美術)と「知る」対象としての実用的なもの(=知識の伝達手段)とは明確に区別して理解されるべきであるとする。一方,モレンハウアーは,図像は製作者の個人的視点およびその同時代人の一般的視点という二様の視点でもって知識を伝達すると考え,この知識の獲得を教育学者の課題として位置づける。ヴュンシェはこの見解を継承し,図像は図像の製作者および制作依頼人の教育意図の表現であり,この意味において図像は本質的に知識伝達の手段にほかならないと極言する。キリスト教文化圏における図像を検証すると,実際,中世の聖画像から今日の写真像にいたるまで,一定の図像学的モチーフとこのモチーフに連結された教育意図が,時代を越えて認められる。それは,聖母マリア像にみられる理想的母子像の呈示であり,幼子イエス像にみられる理想的子ども像の呈示であり,hortus conclususにみられる理想的環境像の呈示である。伝統的図像学的モチーフは,したがって,伝統的理想的教育のイメージの継承・強化に貢献してきたといえる。こうして固定化された教育のイメージは,ひとつには教育者をして教育現実に教育理想への方向性を与えるという積極的な役割を担うものであるが,その一方で,教育者をして教育理念をこのイメージに拘束することによって教育現実との直接的対決を回避させるという危険性を伴うものである。
- 奈良女子大学の論文
著者
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