言語学習と LL 教育 : 現状分析と未来展望
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概要
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この論文において, 言語学習と言語教育との関係を, 近年, 異常なまでの発展をなしとげたLL教育との関連において論ずる。LLとはLanguage Laboratoryの省略で, 言語訓練(室), 語学練習(室)とか種々訳されているが, 適訳がないままにLLとかラボとか称されているものである。言語を学習するということは, どういうことなのであろうか。言語学習は人間に許された最大の特権であるが, 「物を学ぶ-まねぶ」ということは, 単に人間だけに許された特権ではなく, 動物にも許されていることである。両者の差異は, 言語を媒体としているか否か, ということである。言語を通して, 我々は, 母国語とは異質の言語習慣および発想方法を獲得するのである。文学の鑑賞において, imitationを重要な要素としたアリストテレスの論理は, 言語習得の面においても適用される。言語を習得する大きな要素は, 環境と動機付けであり, それらが国家的視野において, 文化的, 学問的, 経済的, 政治的-例えば日中国交回復といったような-交流が強く要請されるならば, 迅速にして効果的なものとなる。我々は語学について学ぶ者を養成するというよりは, むしろ語学を学ぶ者を養成しなければならない。言語習慣の獲得は, 実地練習を通してのみなされるのであって, それはあたかも, 音楽を学ぶ者が, バイオリンについて学んでも, 実際に自分で練習をしなければ, 演奏できないのと同じである。そこで四技能の習得が要求されるのであるが, これはLLにおいて効果的なものとなる。日本人は, 本来, 視覚的民族であって, 聴覚的民族ではない。併し, 語学教育においては, 従来のように視覚性に依存しているわけにはいかないのである。聴覚性に対する要求は, LLを含む種々の聴覚器材の利用をうながす。LLの特徴は, 同時性と独習性にある。学習者は種々の異なるレベルにおいて, 他者に干渉されることなく, 自由に己れの好む所, 不得手のところを学習し, 教授者は, それを学習者に気ずかれることなくモニターし, 必要に応じて, 一対一の会話をなし, 適宜修正していくことができる。初期の段階において要求されるhearingとspeakingの場合には, 特にLLの必要性が高いのである。いわゆるgrammar-translation methodが今日までの語学教育において, 重要な役割を果たしてきたのであるが, 今や, 新しい語学教育は, それを越えたところに見出されんとしている。それを可能にしたのが, LLを始めとする視聴覚教育教材なのである。これによって, 第一にhearing, 第二にspeaking, 第三にreading, 最後にwritingという言語習得の理想的順序が具体化されるのである。従来は, reading, writingの順序で, この二者のみが専ら行なわれてきたのである。そのために膨大なエネルギーが無駄に消費されてしまったのである。言語を学ぶ事は, 他者との'sensible first-hand communication'を可能とすることである。ゲーテが言うように, 自国語しかしらないものは, 自国語をもしらないのである。
- 湘南工科大学の論文
- 1972-03-31
著者
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