明治時代の或る文人にとっての中国:明治十一年、吉嗣拝山の清国渡
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概要
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吉嗣拝山(1846~1915)、名達、字士辞、号拝山、蘇道人、独臂翁、独掌居士。室名古香書屋。筑前太宰府(今福岡県太宰府市)之人。拝山在広瀬青邨的咸宜園学過経書、来到京都后師事南宗派画家中西耕石。 明治四年(1871)、偶天災断右臂、用此断下的右臂骨頭作了一支筆、称為“左手拝山”。明治十一年、拝山去清国旅游、訪問了上海、揚州、蘇州、杭州等城市、也拝訪了龍華寺、寒山寺、西湖、林和靖墓等名勝古蹟、詠詩三十三篇。別外他在上海跟胡公寿、斉学裘、銭子琴等“海上派文人”有過密切的交往。 拝山親眼看到現実的中国和他心中的中国不一様、因此他沮喪失望、随起懐旧之情。本論文拠拝山的詩篇、考察他如何把握清末的中国社会、剖析其濃厚的懐古情緒。
- 2002-02-15
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