P.ブルデューのプラテイックをめぐって(2) : <表象=再現的思考>の限界画定
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概要
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社会学理論においては,現在まで客観主義と主観主義とのあいだに対立が存在し続けている。構造主義以後であるにもかかわらず,現在もそれは持続している。たとえば規範パラダイムと解釈パラダイム,構造と生成,歴史と主体といった基本的対立は,さまざまなかたちで社会理論と哲学において存在している。こうしたコンテクストにおいて,ブルデューの社会学理論は,客観主義と主観主義の全般的対立をのり越えようといる野心的な意図をもつ。その場合,彼の理論におけるプラテイツクとハビトゥスの両概念は,非常に重要な役割を担う。この論文の目的は,前稿(P.ブルデューのpratiqueをめぐって(1),大同工業大学紀要 第26巻)に引き続き,ブルデューの社会学理論のキイ概念である,このプラテイツクとハビトゥスを認識論的な視点から考察し,その理論によって実際にかの対立の地平を越えることが可能かどうかを批判的に検討することである。最初にわれわれは主として次の二点を,ブルデューの諸テクストにもとづき論じる。第一に,われわれは「客観的・社会的・経済的諸条件」のハビトゥスヘの内在化に焦点を合わせた。いいかえれば,プルデュー理論にははたしてハビトゥスの形成機序が組み込まれているかどうかという点である。第二に,その理論が過度に「再生産論」に傾いている要因を論じることである。 最後にわれわれは,社会学的思考一般を,フーコーの「人文諸科学の考古学」を参照しつつ近代の認識論的空間に位置づけることを通して,ブルデュー理論の可能性と限界を画定しようと試みる。
- 大同工業大学の論文
著者
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