上方落語『無いもの買い』考--比較文化論とコミュニケーション論の視点から
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概要
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本稿は、落語を比較文化論的視座とコミュニケーション論的視座から研究するものである。落語には江戸落語と上方落語という二つのスタイルがある。本稿では特に上方落語の『無いもの買い』という作品を中心に研究する。その際に速記本などの文字化された資料ではなく、録音されたものを用い分析する。純粋芸術化してしまった怪談噺・人情噺のような落語ではなく、大衆芸術として笑いの作品を対象とする。 『無いもの買い』は、なぜか江戸落語の評論家の間では評判が悪く、また江戸落語ではほとんど演じられなくなっている。江戸ではこれに類似した噺として『万病円』という作品がある。江戸落語の評論家たちは、『無いもの買い』も『万病円』も人をからかう噺であると位置づけ、『万病円』では浪人が町人をからかうが、最後に浪人が町人にやり返されるところを反権力というような視点から評価する。これに対し、『無いもの買い』は町人が町人をからかうだけのつまらない噺だと低く評価されている。しかし上方落語では『無いもの買い』は今もよく演じられ、人気のある演目である。 まず、このような二つの落語の評価のされ方を、東西の比較文化論的視座にもとづき、「タテ社会論」「ヨコ社会論」を背景とした井上宏の「攻撃としての笑い」と「協調としての笑い」という概念から分析した。このような東西比較文化論的視点からもそれなりに好まれる落語の演目や評価の違いについての説明はつく。しかし、それでは上方落語で『無いもの買い』がいまだに好まれ続けている理由を完全に説明するには十分ではない。 そこでG・ペイトソンのコミュニケーション論、なかでもダブル・バインド論のような病理的コミュニケーションと遊びをめぐるコミュニケーションの議論を用いた。そして、それらを用い笑福亭仁鶴の音源をもとにストーリーを詳細に分析していくことで、上方落語『無いもの買い』には高度なコミュニケーション論的視座が盛り込まれていることがあきらかとなり、その現代性・普遍性が笑いと結びついていることが見いだされる。 本稿は、社会学の視点を生かした落語論であり、また、記述資料を重視する分野の研究者が十分に研究対象としてこなかった、現代の上方落語の大衆芸術的演目など、口承芸能の研究方法を模索するものでもある。
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