1960年代『装苑』とパリ支局--海外情報と誌面の変化
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概要
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日本ファッションにおいて雑誌『装苑』は重要な役割を果たしたが、その60年代における変化について本論では明らかにした。「洋裁研究jという形で自誌の方針を表明していた『装苑』は、1960年代に方向転換を行うが、1950年代において警戒しつづけていた浮薄な流行という現象に対して、門戸を開き、それを推進する立場に自誌を置くということであった。流行の中心であるパリに拠点を設置することを目指した『装苑Jは、高田美や堤邦子らと協力してパリとの繋がりをつくり、とうとう1966年10月に誌上でパリ支局の開設が表明された。こうしたパリ支局の開設準備の中で『装苑』の誌面上に変化が生じる。 第1に、表紙に表明されていた「洋裁研究」という方針が「FashionMagazine」 となったことである。これによって流行情報のみならず、旅行やレジャーの記事も増加した。第2に、アルフアベット表記である「SO-EN」のロゴ開発も進み、欧米的な方向へ自誌の印象を変えようとした。そして、1960年代後半には、目次の中に「SO-EN」というロゴの文字の用いられた記事も頻繁に登場してくることとなった。第3には、アートディレクター制を表明するとともに、海外情報のページも製図中心から情報中心に変化していくこととなった。このように、1960年代における『装苑』は海外情報と関係を密にしながら、誌面上の改革を進めていったのである。
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