ある自由保育幼稚園における参与観察の困難さについて - 観察者が観察できるものは何か -
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概要
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筆者は自由保育の理念にもとづく実践を行っているA 幼稚園への参与観察を行っているが、観察をするうちに、観察する主体としての自己のあり方について考えさせられるような、種々の困難さを感じるようになっていった。本稿では、筆者の経験した参与観察における困難さを描き出し、参与観察のあり方を再考する視座について考察してゆく。考察の結果から、観察者が観察できるのは、日常的なありのままの姿としてある対象ではなく、観察する主体による影響を受けた対象でしかないことが理解された。そこから発展的に、A 幼稚園の参与観察においては、観察する主体である筆者が子どもたちにどのように認識され、彼・彼女らの世界へ招かれてゆくのか、ということを反省的に理解してゆくことが有効だろうと示唆された。また、保育研究や授業研究など狭義の意味でのカリキュラム研究において、観察する主体としての自己のあり方を考える必要性もあわせて示唆された。
- 千葉大学教育学部授業実践開発研究室の論文
- 2009-03-00
千葉大学教育学部授業実践開発研究室 | 論文
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