パルミラの有名人・ハイラン
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概要
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紀元1世紀の中頃、シリア砂漠中央の隊商都市パルミラPalmyra(タドモル)に、ハイランという有名人がいた。ラブエルのニックネームをもち、父はボーナ、母はバアルテガであった。彼は、パルミラ市やベール神殿等に大いに貢献し、市内要所の碑文で顕彰された、しかるべき人物であった。パルミラの碑文は、パルミラ語か、ギリシャ語を加えたニカ国語併記が通例。だが、彼自身による墓建造碑文や彼の顕彰碑文は、パルミラ語・ギリシャ語・ラテン語の三ヶ国語併記である。これらの特異な碑文は、パルミラ人では彼に限定され、かねてから研究者が解読を重ねてきたきたところである(Cantineau 1933; Rodinson 1950; Rosenthal 1936; Gawlikowski 1970, 1973; Teixidor 1979; As'ad and Gawlikowski 1997)。本稿の目的は、ハイランとその家系に関する各種の碑文(PAT2801・TADMOREA 2B・PAT1356・0259・0273・1616・2759)を詳細に再検討し、彼の系譜や周辺世界への接近を試みることにある。
- 奈良大学文学部文化財学科の論文