『独逸故事熟字彙』編者山川幸雄
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
明治時代の留学期間は後年より概して長期であった。特に明治初期は文部省留学生の留学期間は五年と長かった。しかしその後は段々短くなり、明治三十三年のドイツ語研究を目的とする最初の文部省留学生であった藤代禎輔(一高教授)と山口小太郎(東京外語教授)の場合は二年間であった。私費留学の場合は期間に制限がないので留学資金さえあれば長くなる傾向があった。だが、余りに長期の留学はドイツで就職する場合以外は当人の将来にとって必ずしもプラスではなかった。本稿で取り上げた山川幸雄はそのような例に当てはまる一人であったように思う。彼は十五年間ドイツに留学し法学博士の学位を得て帰国したが、願ったであろう大学入りは果たし得ず高等学校の独語教師になった。しかもしれも病気のため比較的早く辞めてしまった。今日彼のことを知る人は皆無に近いと言ってもよいと思われるが、それでも長期のドイツ留学によって実地に習得した語学力はやはり非凡なものがあった。明治三十九年に南江堂より上梓した『独逸故事熟語字彙』や、その他ハウフ、クライストの作品の註解書はそれをよく示していると思う。
論文 | ランダム
- Chinese Ceramics of the Middle and Late Tang Dynasty
- ブラジルで医療に携わって
- 3. Massive Thirring-量子sine Gordon系の有限温度励起スペクトル(IV. 量子論と統計力学,ソリトン系のダイナミックスとそれに関するカオスの問題,基研長期研究会報告)
- 肥満児童のライフスタイルと食生活に関する研究
- 地域生涯学習計画化と学習内容編成 : 参加と「共同学習」の展開にかかわって (山田定市教授退官記念号)