文学と音楽の交錯-出発期における坂口安吾
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概要
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一九二八年、語学学校アテネ・フランセに入学した坂口安吾は、学生たちの中に満ちていたジャンル横断的な芸術志向の空気を吸いながら、狭義の「文学」に限定されないような新しい芸術のあり方を模索していた。安吾がアテネ・フランセの友人らと刊行した同人誌「言葉」「青い馬」には音楽に関する記事があふれ、中でもフランスの作曲家エリック・サティは特権的な位置を与えられるが、このことの背景には、級友であり雑誌への寄稿者でもあった前衛作曲家・伊藤昇からの影響が少なくない。同時代のモダニズム文学者たちがジャン・コクトー経由で記号としての「エリック・サティ」を消費していたのに対し、安吾はサティの音楽そのものに深い関心を寄せた。コクトーのサティ論を訳しつつ、様々な文献を渉猟しながら充実した補註をつける安吾は、その作業を通じてサティの芸術の根幹にある態度、すなわち過剰な〈意味〉を放棄する〈ナンセンス〉な芸術への志向を看取したのだ。
- 2010-03-30
著者
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