グローブ画「ペスタロッチーとシュタンツの孤児」の複製と伝播について--あるいは,教育運動における視覚メディアの役割
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概要
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Konrad Grob's painting, “Pestalozzi and Orphans in Stans," has been accepted in Japan as a typical visual image of Pestalozzi. This paper illustrates how this painting came to and spread out there: Chronologically, Grob painted in 1879 and Basel Public Museum purchased it in the same year; in Munich Shigenao Konishi, a Professor of Kyoto Imperial University, obtained a smaller black-and-white reproduction of it, which was used to make various copies after his return in 1905; In Basel Arata Osada, a Professor of Hiroshima High Normal School, brought with him in 1929 six pieces of colored reproduction made in Vienna in 1927, the centennial anniversary of Pestalozzi's death; and Kuniyoshi Obara, an educator who had his own publisher, made and sold three different sizes of reproductions by using the Viennese colored version in 1930. The process of popularizing the picture is that of apotheosizing Pestalozzi in Japan. The educators accepted Pestalozzi as their ideal with the icon of “Pestalozzi and Orphans in Stans."
- 広島大学大学院教育学研究科の論文
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