岡山孤児院大阪事務所の開設(下) : 日誌・自明治四〇年一月至明治四一年三月
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概要
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一、本稿は社会福祉法人石井記念愛染園(大阪市浪速区日本橋東)が所蔵する資料の一つで、その表紙の厚紙には「日誌 岡山孤児院大阪分院」と朱書き(後筆)され、本文は「大阪蔡倫社印行」と中央に印刷された罫紙一一六枚を袋綴じにしたものに、墨筆にて記された記録の複写物を著者たち三人で起こしたものである。ただし、本稿ではその日誌全体の後半部分のみ収録している。前半部分は『田d四天王寺国際仏教大学紀要 文学部・短期大学部』(三五・四三号、二〇〇三年)に同じ著者たちによって掲載されている。 二、日誌の前半部分とは明治四〇年一月一四日から同年七月四日まで、後半部分とは同年七月五日から翌明治四一年三月一五日までのことであり、全体で一年二ヶ月に亘る活動記録である。なお、前半と後半とは原資料上の区別ではなく、専ら両紀要掲載の都合から付けた区別である。 三、原資料の本文には、その表紙に記されている岡山孤児院大阪分院との名称は一度も見ることが出来ない。見られるのは大阪(坂)事務所という言い方であった。大阪分院との名称が、本稿の明治四〇1四一年当時には未だ用いられていなかったと断言することは出来ないが、しかし大阪分院とはその翌年の明治四二年に保育所・夜学校(大阪市南区愛染橋)が、また失業者の保護事業たる同情館(同区日本橋筋)がそれぞれ始められて以降、そうした大阪での事業全体を総称する名称としてあったはずである。(柴田善守編『石井記念愛染園八十年史』五九ページ等参照)。したがって、本稿のタイトルにおいては本稿の内容に即する意味で、原資料表紙通りの大阪分院と表示することはせず、大阪事務所とした。 四、岡山孤児院大阪事務所が開設された場所は、本日誌(明治四〇年一月三〇日)に記されている通り金蘭女学校の旧校舎であり、その金蘭女学校があったのは『石井十次日誌』(明治四〇年六月一四日)によれば、大阪市北区曽根崎新地出入橋東詰であった。岡山孤児院の創設者石井十次が金蘭女学校の建物および土地を購入し、大阪の地での孤児収容また出身者の大阪での就職を計らんとしたものであった。(『石井十次日誌』明治三九年一〇月二一日、本日誌明治四〇年五月二〇日)なお本稿四ページに、当時の建物の写真を載せたが、これは石井記念友愛社(宮崎県児湯郡木城町)理事長児嶋草次郎氏の許可を得て、同施設内の石井十次資料館所蔵のアルバムより転載したものである。 五、この日誌を記した人物は、個人的な事柄も記している。例えば、「余ハ本月ヲ以テ岡山孤児院二満七ヵ年勤メシナリ。明日ヲ以テ新ナル時期二入リ更二大坂事務所ヲ根據トシ活働ヲ試ンコトヲ欲ス」(五月三一日)。『石井十次日誌』(明治三九年九月一〇日その他)を読めば岡山孤児院大阪事務所の中心人物は光延義民であることが明白であり、また原資料に添付されていた、児嶋琥一郎氏(石井記念友愛社理事長児嶋草次郎氏の御尊父)のメモにも「光延義民氏の筆による記録」とあることから、この日誌の記者は光延義民であると判断される。 六、表記に関しては、本稿は次の方針に従った。これは本資料前半部分を掲げた『田d四天王寺国際仏教大学紀要 文学部・短期大学部』(三五・四三号、二〇〇三年)掲載の「岡山孤児院大阪事務所の開設(上)」と同一の基準である。すなわち、I.表記は、旧字や異体字を含め、原則として原文通りとした。ただし合字はカタカナ表記とした。II.当て字は、そのままとした。明らかな誤字・脱字と思われる箇所も原則として訂正していない。ただし、内容の理解に支障を きたすと思われる場合のみ行間()内に注記したが、了解困難な箇所は(ママ)とルビを振った。III.抹消されていた箇所については、原則として記載していない。ただし、内容の理解に必要な場合のみ当該箇所を「」で括り、 行間に(抹消)と注記した。IV.原文途中で文字が記入されていない箇所(文字数不明)については、[口]と表記し、行間に(記入ナシ)と注記した。V.原文に句読点はほとんどないが、読み易さを考慮して句読点を補った。VI.人名に関しては、一部プライバシー保護のため伏せ字とした。その場合は、文字数分の□で表記した。VII.地名に関しては、一部プライバシー保護のため伏せ字とした。その場合は、文字数分の□で表記し、行間に(地名)と注記し た。VIII. 日誌の欄外あるいは別紙に記載された箇所については、本文中の該当する部分に〈欄外記載分〉または〈別紙記載分〉として 示し、実線で囲んである。 七、原資料の撮影は二〇〇二年三月一八日から二〇日の三日間、石井記念愛染園・愛染橋病院の一室を拝借して筆者たちが撮影機材を持ち込んで行なった。写真撮影および今回の翻刻においては、石井記念愛染園常務理事吉田隆一氏、理事菅良介氏の許可を頂いた。関係の皆様のご好意に深く感謝申し上げたい。
著者
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