キャンベラの住民運動の研究
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概要
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本稿では、住民運動のリーダーやACT政府の職員に対し1997年7月と8月におこなった面接調査の結果にもとづいて、キャンベラの住民運動を分析した。そして、次の3点を明らかにした。(1)キャンベラにおける行政のやり方が1980年代半ばころから変更された。ACT政府はキャンベラの行政経費を削減しようと努めており、住民や民間開発業者の要望を聞いて都市開発をおこなうようになった。キャンベラで起こっている住民運動の争点の多くは、ACT政府の新しい行政のやり方と多かれ少なかれ関連がある。(2)筆者は1988年にもキャンベラで住民運動の調査をおこなった。キャンベラの住民運動の団体が1988年と1997年では大きく入れ替わっていたが、これは次のことを表している。キャンベラでは、日本の町内会のような地域住民組織が母体となって住民運動を組織するのではなく、特定の社会問題に関心がある住民が集まって団体を結成し、自発的に住民運動をおこなっている。社会問題が解決された後、団体が別の活動をおこなおうとしても、住民の支持を得られない。だから、その社会問題が解決されると、団体は住民運動をやめてしまうことが多い。そのために、キャンベラの住民運動の団体が9年間の間に大きく入れ替わっていた。(3)1997年には「作為要求型」の住民運動が開発地域(ガンガーラン)でおこなわれいたのに対し、「作為阻止型」の住民運動は再開発地域(イナー・キャンベラ)でおこなわれていた。こうした地域の種類と住民運動のタイプとの対応関係は、1997年だけでなく1988年にも見られた。ただし、新しい傾向が1997年には見られた。ACT政府が行政経費の削減をめざしているので、「作為要求型」の住民運動や生活関連施設廃止・行政サービス低下に反対する住民運動が完成地域や再開発地域においても起こっていた。
- オーストラリア学会の論文
- 2002-03-08
著者
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