アラゴンの小説技法 (4) : 『冒頭の一句』を読む
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概要
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ダダイズム、そしてシュルレアリスムの詩人として出発したルイ・アラゴンはいわゆる「アラゴン事件」の後にシュルレアリスムの陣営を追われ、長い曲折を経てレアリスムの小説家として生まれ変わる。その後、長らく「現実世界」の連作や『レ・コミュニスト』の作家として社会主義レアリスムの立場に立つ人間だと見なされてきた。そのアラゴンが晩年になって発表した『死刑執行』(1965)や『ブランシュまたは忘却』(1967)は批評家たちや読者たちから一種の驚きをもって迎えられた。そこには明らかにシュルレアリスム的な手法への「先祖返り」が認められたからだ。この時期に書かれた自伝的なエッセイ『私は書くことを決して覚えようとしなかった、または冒頭の一句』(1969)はアラゴンにおける言葉の誕生の秘密を明らかにしようという優れて生成論的なテクストであり、アラゴンの後期小説を読み解く上でも数多くの示唆を与えてくれる作品なのだ。
- 2011-09-30
著者
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