「壱岐・対馬の道」に見る司馬遼太郎の朝鮮観
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概要
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本稿は、司馬遼太郎氏の朝鮮(韓国)関連紀行文の3 部作 - 「韓のくに紀行」「耽羅紀行」「壱岐・対馬の道」- 研究の一環であって、朝鮮関係の表現を中心に司馬氏の朝鮮認識について探ってみるのに目的がある。その内容は、1) 日本神道の原型は対馬にあり、対馬の古神道は朝鮮に定着した古代大陸信仰の影響を受けていたと見ていること 2) 「遣新羅使」の存在確認と単発性・無成果であった役割の分析 3) 豊臣の朝鮮出兵の無謀さと日韓合併の間違いの指摘 4) 中西氏の山上憶良の百済流民説への賛同 5) 古代朝鮮半島の文字(イドゥ等)が存在していないことへの残念な遺憾表明 6) 元・高麗連合軍の日本侵略過程説明 7) 朝鮮儒教文化の前近代性と閉鎖的弊害の指摘等である。このような内容において、 1) 日本の古神道の原型が対馬 ⇒ 朝鮮半島 ⇒ 大陸北部の経由であると主張している司馬氏の立場はいつも一貫している。 2) 「遣新羅史」に関する言及は、その歴史的存在自体がほとんど知られていない韓国側としては意外であるが、統一新羅の華やかな発展とは別に、日本側に積極的外交政策と国際感覚があったのを反証していると考えられる。 3) 豊臣の朝鮮出兵と日韓合併について、司馬氏は否定的批判の立場を堅持している。 4) 中西氏の主張を引用した山上憶良の百済流民説に対して賛同している。 5) 古代朝鮮の文字が不明であることに遺憾の意を表している。 6) 高麗末期は日本の倭寇勢力に蹂躙されて滅亡への決定打を受けていたことに対する司馬氏の認識は見当たらない。 7) 朝鮮儒教に対して否定的認識をもっていたのが分かる。