「韓のくに紀行」に見る司馬遼太郎の韓国認識
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概要
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本稿は、司馬遼太郎が40年前書いた「韓のくに紀行」の中で韓国と韓国人に対する直接的表現だけをまとめて彼の対韓認識の特徴を分析するのに目的がある。紀行の旅程は古代日本と関係の深い朝鮮半島の南地域で、徹底的な準備下に行われた歴史踏査の旅であった。特に、朝鮮に帰化した沙也可の跡地訪問と彼の文集に対する調査は当時としては稀なことであった。司馬の観点は、古代日本と関わりのある加羅と任那、百済に集中し、歴史的な人的物的交流に基づいた百済文化との同質性を確かめているが、新羅に対しては否定的立場を持っている。朝鮮ノ役以来日韓合併に至る歴史的事件・戦争に対しては比較的に客観的視覚を保っている。韓国と韓国人については、半島国家の地理的特性を理解しながらも、儒教文化の弊害による文化と民族性の短所を厳しく指摘していて、この点においての韓国人の反論、反発は当然のことであろうが、個人的には概ね共感すると共に、韓国側の冷静な再考が要ると判断される。慕夏堂文集、平済塔、当時韓国農村等に関する感想と分析においては、資料中心ではない客観性不足と当時韓国の政治、経済に対する現実的状況認識の問題が提起できる余地があると考えられる。