「労働者」という希望 : ネパール・カトマンズの家事労働従事者の現在
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概要
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本稿は、家事労働に報酬を得て従事するネパール・カトマンズの女性達の現状及びそれに対する彼女達自身の評価・認識を、よりよい労働と生活に対する彼女達自身の希望のありようとの対照のもとに明らかにする試みである。彼女達の労働とそれに対する処遇の現状は、これを一般性のもとに語るのが無意味なほどに大きなばらつきを含む。労働時間や賃金(さらには後者を前者で除するところに現れる「時給」)において、賃家事労働をめぐるスタンダードはなお未形成な状態にある。この事実は、家事労働力の労働市場が成立しておらず、労働法制上も家事労働従事者が「労働者」として認知/保護を受けていないことに対応している。一方、ネパール社会一般と同様、彼女達自身のこの仕事をめぐる評価はほぼ一様に低く、家事労働に従事する自己を肯定的に受けとめる者はほとんどない。ばらつきがあるとはいえ高給には程遠いその処遇に加え、家事労働自体が仕事として低い社会的評価しか受けていないこと、また雇い主との関係において「召使い」のごとき扱いを受けやすいことがその大きな理由である。こうした扱いを回避すべく、彼女達は雇い主と擬似家族的紐帯を構築することに望みをかけたり、家事労働自体から撤退して別の仕事を得ることを望んだりする。しかし現状から見て、むしろ彼女達の実質的希望たりうるのは、「(家事)労働者」として自己を再定位し、その立場から組織化し声をあげていく-種々の法・制度的環境の整備を求めるとともに、雇い主を含む社会一般の認知を刷新する-ことであると見える。カトマンズに生まれて間もない家事労働者運動が掲げるスローガン、「家事労働従事者は労働者である」は、こうした現実(認識)を踏まえたものであった。
- 2011-03-31
著者
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