国立結核療養所村松晴嵐荘における職業指導の成立過程とその背景 : 外気小屋から「実生活復帰準備」へ
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概要
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1938年1月27日の傷痍軍人保護対策審議会答申ではすでに傷痍軍人に対する「職業教育」や「職業保護」が掲げられ,その答申にそった施策が実施に移されていた。しかし結核による除役軍人に対しては結核が当時決定的な治療法がなく,治癒の判定も困難なことから医療面での問題も多く,必ずしも職業指導の対象とは考えられていなかった。そのような状況の中で外気小屋に象徴される従来の予防・隔離を中心とした療養方針を転換し,結核患者の職業指導に先駆的に取り組んだのが我が国最初の国立結核療養所となった村松晴嵐荘であった。本研究においてはこの転換の契機となった外気小屋事件前後の村松晴嵐荘の作業療法の職業指導的側面を中心に比較検討し,事件後に開始された木村猛明の「実生活復帰準備」を含む作業療法の社会復帰援助としての役割とその活動を支えた医学的要因と社会的背景を明らかにした。
- 一般社団法人日本社会福祉学会の論文
- 2001-03-25