日本人とキリスト教-山梨の場合-
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概要
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筆者は先に「日本人とキリスト教」(「山梨英和大学紀要」第5号、2006年)において、日本におけるキリスト教のあり方の問題点について論じた。本稿では、山梨に視点を移し、さらに具体的に考察していく。山梨では、C.S.イビーが宣教師として初めて山梨入りをし、精力的にキリスト教伝道を展開した。そしてわずか三年という期間ではあったが、彼が山梨のキリスト教の基礎を築いたと言える。彼は、かつてジョン・ウェスレーが行ったサーキット・システムという巡回伝道の方策を独自に取り、山梨の各地に説教場を造り、それらの多くが現在、教会として成り立っている。県内唯一のキリスト教主義学校である山梨英和学院創立の原動力となったキリスト者たちも、それらの教会の一つである甲府教会の信徒たちだった。以上のように、彼は、山梨のキリスト教にとっては最重要の人物であるが、本国カナダでは必ずしも理解が得られず、山梨の伝道も、彼の思惑通りとはいかなかったと言える。本稿では、彼の苦闘や問題点を探ると共に、先の論文で提示した、日本人にとってのキリスト教のあり方について提起する。