反省的実践家としての教育実践記録の意義と活用 : 実践記録カンファレンスを通して
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
教育実践記録は,近代日本教育の中で教師の教育実践として綴られてきた。その歴史をたどってみると,初期においては,生活綴方に始まる教師の「生活記録」として綴られ,次には教育実践を科学する一つの手段として用いられ,授業研究や教材研究の方向へと転換してきた。さらに,教育の場が複雑化し多様化した現代にあっては,臨床教育的アプローチの重要性が増している。現代の「教師-生徒関係」においては,その教育的事実や事象から教育的意味を読み取る新たな視点が必要である。そこで,本研究では,教育実践記録が歴史的に担ってきた役割をたどりながら,綴ること,読みあうことの意義を再吟味し,今日的な教育実践記録の意義や活用について考察する。特に,教育実践記録を読みあうことの意義として,ドナルド・ショーンが提唱する「反省的実践家(reflective practitioner)」という観点からY市において6年間継続している実践記録カンファレンスを事例として取り上げ,教師の専門性の向上に寄与するための教育実践記録の今日的意義づけを行う。
- 日本教育方法学会の論文
- 2008-03-31