東西の邂逅:佛教とゲーテ : -ブルーノ・ペッツオルトと富永半次郎による比較文化研究-(II)
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概要
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「東西の邂逅」(I)では兩人の研究面に重點を置いたが,(II)では俗界との關連にも着目し,兩人の比較文化的業績の特色・位置づけを試みたい.B.ペッツオルトは哲學・心理學・經濟學を專攻,十年間ドイツ國内外の新聞特派員生活の後中國へ派遣され,先に東京音樂學校に着任した聲樂家の妻・ハンカの後1910年に來日,第一次大戰で報道業務を中止し,一高教授(ドイツ語)に就任.比叡山參詣を機に佛教に關心を抱き,四十歳を過ぎて體系的に天台學を習得して行った.ゲーテ流の<對立物の統一>は相對的で,天台の<空><假><中>やシェリングの三勢力と統一概念の絶對的同一性の前段階だとする.其の學風は「象牙の塔」式でなく,<統一>が二つの世界大戰中のこととてナチスに徹底的に反對しながら,人類の平和を目指し,「東西の思想の架橋たらんとした人道的動機」(V.ツォッツ)に基いたことも見逃せない.富永半次郎は脱亞入歐型の東大を中退,統一人格の發揮を期して和漢洋の書を渉獵し,梵・巴語を獨學.震災後文部省内・古社寺保存委員會委員,續いて社會教育會主幹として「アカツキ」誌の編集,自ら「ハダカの修養」・「アソカ王の法詰摘要」などを執筆,原典『法華經』からゲーテ形態學の發想を以て有機的筋をもっ「根本法華」を摘出.月刊講義録『一』誌には「法華」「論語」「鎌倉時代の佛教」「一_レ徳の方法として己心中所行ヴァヤダンマー・サンカーラーの吟味」などが連載.この釋尊の遺言を自らの實習の糧とした.釋迦が「思想の源泉」を「全人格を賭けて」追求したと論じた戰後の『私の人生觀』(小林秀雄)と同じ頃富永が執筆した『正覺に就いて』ではガヤー正覺を,自ら發見・追體得したチャーパーラ正覺の境地から批判的に吟味した.最晩年ゲーテの轉換した心境とその成果・新案『ファウスト』に言及した『釋迦佛陀本紀余論』など戰後の業績は次の最終囘に譲りたい.
- 2010-03-25
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