<根本法華>のシンボリズム(二) : 虚空會における生中心のドラマ(一)
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概要
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本學曾・2002年度(於・ソウル)で發表者は,"The Symbolism of Hokke-Proper:Morphological Studies on Saddharma Pundarika Sutra by a Private Scholar"と題して民間學者・富永半次郎の,『蓮華展方--原述作者の法華經』(梵和對譯,大野達之助・千谷七郎・風間敏夫他編1952)で完成を見た「根本法華」Hokke-Properの成立事情,その源流,即ちCh.ウパニシャッド・ラーマーヤナ・數論哲學・僧伽分裂史・阿育王碑文と,一貫したドラマとしての文脈を紹介略説した.それは西紀前一世紀頃の無名の一比丘の作と目され,現行廿八品中,序・方便・見寳塔・(勸持)・涌出・壽量・囑累の諸品(それらも全部は採用されず)を除いて他は後世の添加挿入として削除され,その發想源にゲーテ流の形態學が適用される.今回は,この發表に先立つ二ヶ月前に為した口頭發表(國際法華經學會,於マールブルク大2002年5月)の原稿に加筆,訂正したものである.霊鷲山の説法の座で無量義處三昧から釋迦は立ち,佛智の深甚無量,方便を説くと舎利弗がその所以を三請する.「佛陀とは何か」の疑問が一會から起きるや,突如一會の眞中から高さ〈五〉百由旬の塔が涌出,「正法巻舒」(←阿育王法勅)+〈白蓮華〉(←ウパニシャッド)の合成語が善哉と讚へられるシャブダ(權威ある言)として發せられる.その中を見たいとの恵光菩薩の懇願で,十方分身が還集一處する.釋迦が中空に上り,右手もて二片(對立概念)を撤去して入塔,涅槃佛(多寳如來)と半座を分つ.佛威徳を以て一會が中空に上げられると,釋迦が自分の涅槃後に「誰が正法を付囑し得るか」との問に一會の代表と他方來の菩薩が名乘をあげる.「止善男子」の一喝と共に,地皆震裂,大地から六萬ボディサットヴァ(=〈覺〉の本質,六萬←六十タントラの千倍,サーンキヤ哲學とサガラ王神話の六萬王子の換骨奪胎)が涌出,透明のアーカーシャに包まれ一會は〈五〉十中劫一少時,黙念.壽量品の〈五〉百塵鮎劫と共に〈五〉は五蘊--その軸が〈行〉蘊--の象徴.rddhyabhisamskara(サンスカーラの完成)が鍵語.因みに副題の〈生中心〉とは〈ロゴス中心〉(意識・概念偏重)の反對で,有機的全一の在り方を表すL.クラーゲスの用語.(富永師は,天台學會の招聘により奇しくも本・大正大學の講堂(昭和12年10月14日)で「私の観たる法華經」を講演された.『一』誌・特輯 第七號 法華精要富永先生の會 昭和13年2月20日)
- 2007-03-25
著者
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