ハインリヒ・シェンカーのピアノ演奏論 : "遠方の聴取 Weithoren"について
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概要
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小論は、20世紀初頭のウィーンを活動の場としたポーランド生まれの音楽学者、ハインリヒ・シェンカーHeinrich Schenker(1868-1935)のピアノ演奏論について、彼が用いた「遠方の聴取Weithoren」という語を手がかりに、その特徴を明らかにしようとするものである。筆者は兼ねてより、楽曲構造を階層的にみることで作品全体と部分の構造的連関を明らかにするというシェンカーの分析方法が、ピアノ演奏という身体行為を考える上で有益ではないかと感じていた。そしてシェンカー自身、ピアノ演奏に関する記述を残しているところから、それが彼の分析理論とどのように結びついているかということは、当然ながら関心の高い問題であった。シェンカーのピアノ演奏論に関する記述としては、1911年の『ピアノ演奏論 Die Lehre vom Vortrag』と題された論文の草稿と、1914-32年に書かれた、ピアノ演奏に関する数百枚のメモが現存している。1911年の草稿は、具体的な演奏技術について、演奏の身体的な知覚レヴェルまで掘り下げて論じられていて極めて興味深い。しかし、おそらく彼の理論体系が確立する20年以上前に書かれたということもあり、分析理論との接点を示す語はほとんどみられない。ところがその後のメモ書きになると、多くはないものの、彼の理論用語が交えられるようになる。今回筆者は、メモ書きにおける「遠方Ferneの意識」という語と、1935年の理論書『自由作曲法』に現れる「遠方の聴取Weithoren」という語に着目し、これらが何を意味するか、演奏における遠方の聴取とはいかなることかについて考察することとした。第1章では、「遠方の聴取」の概念について、『自由作曲法』の内容をもとに理論的観点から考察した。それは、楽曲構造を把握する際に、シェンカー分析によって導き出された各階層の構造を同時に知覚することにより、今鳴り響いている諸部分がより大規模な構造的文脈の中でどのように作用しているかを捉えようとする行為であった。 第2章では、このことを具体的な作品に即して考える。ベートーヴェンのピアノソナタOp.14-2、第1楽章のシェンカーによる分析に、筆者が演奏論の内容を適宜交え、「遠方の聴取」について演奏論の立場から考察した。それは、前景的ないかなる要素を演奏する時も、より大規模な構造に対する見通しを意識の中に並存させ、それぞれの階層に対して別々の表現手段を用いることで、楽曲構造の内部に宿る意味連関を認識することである、と筆者は結論付けた。このことが達成されれば、作品の持つ構造的な深みを、実際の音響によって聴き手に伝えることが可能であろう。 しかし、このようなシェンカーの捉え方を適用できる作品は、主にバロックから古典派の、トニックとドミナントの二極による閉じた構造を持つ作品に限られる。この批判的見地から、第3章では、シェンカー分析や演奏論の限界について短く触れた。シェンカーが生きた時代の「音楽作品」に対する美学や、彼が対象としなかった作品群にこの演奏論を応用することが可能であるか、などについては今後の課題とする。