「今」と「瞬間」 : フッサール/デリダ/バタイユ
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概要
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本稿の目的はバタイユの「至高性」の「瞬間」の概念をデリダのフッサール批判から考察することにある。議論は以下の手順でなされる。まず、「1」において、バタイユの「至高性」の概念を明確にするために、デリダのフッサール批判を考慮する必要の確認。「2」において、フッサールの「今」概念、および、それに対するデリダの批判を素描。とりわけ「今」には「差延」からなる記号作用があるゆえ「今」は決して捉えられない、というデリダの批判を確認。「3」において、われわれの世界には記号作用には含まれないものがあることを考察。「4」において、「差延」のさまざまな性質を把握。続いて、上記の性質とバタイユの「至高性」の「瞬間」を比較し「至高性」が記号作用では捉えられないものであることを考察。こうして、フッサール、デリダが議論の対象とした「今」と「至高性」の「瞬間」の概念を結びつける。そして「5」において、「今」と「至高性」の「瞬間」の概念的つながりをより考究するための今後の課題を検討する。