大正初期の附属小学校と連合研究会の設立 : 大分県師範学校附属小学校を中心に
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概要
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大正初期の附属小学校は、公立小学校との間に多様な連合研究会を結成した。日露戦争後さまざまの教育条件の整備がすすみ、公立小学校のなかには、多彩な教育実践を試み、「新学校」として注目をあびる学校も登場した。このような小学校の実態は、その中核としての機能をになった附小にとっては、等閑視できないことであった。したがって、みずからの教育実践力をいかに高め、公立小学校とどのように関わるかということが、須要の課題となったのである。連合研究会には、多様な組織形態があり歴史的に複雑な変遷がみられる場合が少なくない。先行研究においては連合研究会が地域における実践交流の場となり、新教育の展開においても一定の役割を果たしたことが指摘されてきた。本稿ではそれを組織化した附小の視点から捉えなおし、附小に課せられた課題、結成した連合研究会の組織体制や活動内容、連合研究会の改組過程などについて分析することにより、大正初期の附属小学校の目的や役割などを考究した。地域としては、連合研究会が大正4年から昭和16年頃まで継続した大分県を対象とした。
- 岩手県立大学の論文