翻訳 T.B.チュマコーヴァ「外国人のみたロシアにおけるツァーリの権力(16-17世紀)」
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概要
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訳者は、先年、ピョートル大帝以前のロシアの政治権力構造とその歴史的な変化について検討する機会を与えられた。そこでは、ロシアの政治権力構造について、とくに貴族と君主の関係に焦点を絞って、両者の関係を歴史的に明らかにしようと試みた。もとより極めて概括的な検討にすぎなかったが、それはおおむね次のような問題意識に基づいていた。1.ロシアの政治体制といえば、専制政治のひとことで片付けられてしまうことも多いが、これではその実態は少しも明らかにならないこと、とはいえ、2.少なくとも17世紀までは、ロシア、より正しくはモスクワ国家の権力構造は、一つの制度もしくは構造として把握するのが必ずしも容易ではないこと、3.その理由はもちろん史料の不足によるところが大きいが、むしろ史料を欠如させている当時の歴史的な事情そのものに、より本質的な理由があると思われること、したがって、4.権力構造の把握という課題についても、政治史の丹念な検討にこそ問題解決の鍵が求められねばならないこと、などである。ロシアの政治権力構造も、時代によって変化してきたことはいうまでもない。結果的に18-19世紀にツァリーズムと呼ばれる専制政治に行き着いたとしても、それは決して既定の針路であったわけではない。17世紀までは、なおいろいろな可能性があったと思われる。具体的にいえば、16世紀後半の「危機の時代」と17世紀初頭の「動乱時代」を経験し、その困難を克服する中から、はじめて専制政治と農奴制が同時に成立してくるのである。その意味で、この時代は、ロシア史における大きな転換期であったと思われる。もとより、前稿でまったく触れることのできなかった課題も多い。その中のひとつに、君主(ツァーリ)権力の性格と理念をめぐる問題がある。そこでここでは、この問題を扱ったロシア人研究者の論考を訳出することとした。この論考は、「15-17世紀ロシアにおける外国人西一束」という論題で、2004年にモスクワのクレムリン博物館において開催された国際シンポジウムでの報告である。このシンポジウムの意義や報告集の構成等については、すでに述べたことがあるのでここでは省略する。のまた、訳出した論考の内容についても、ここで繰り返すことはしない。ただ、一言だけ付け加えておくと、表題から、ツァーリ権力についての外国人の証言が多数紹介・検討されるものと予想すると、それは裏切られよう。報告者チュマコーヴァの意図は、モスクワ国家の政治理念についての彼女自身の理解を展開することにあり、外国人の証言はその論拠として引用されているからである。それでも、ロシア(モスクワ国家)におけるツァーリ権力の性格と理念を、西欧の国王権力のそれと鋭く対比して描き出したこの研究は、21世紀のロシアの新たな政治状況ともあいまって、独自の意義を持つといえよう。
- 2009-03-13
著者
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