川田貞治郎の日本心育園における低能児教育としての心練の実践
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概要
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川田貞治郎は、明治44年8月14日、茨城県渡里村に小学校令第17条各種学校を適用し、低能児教育施設、私立日本心育園を創設する。そこでは小田原家庭学園・水戸友会時代に考案した心練が次のように変化する。第一に対象の想定が、不良少年と低能児から低能児に特化され、第二に小田原家庭学園では学科の一つであった心練が、教育方針として昇格した。さらに川田は、日本心育園で自身が考案した心練を実践する中で、アメリカ合衆国で精神薄弱児教育を学ぶことを決意する。
- 障害科学学会の論文
- 2008-03-25