「豊後節以前」の音曲詞章 : 延享二年正月
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概要
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延享四年(一七四七)、宮古路文字太夫が常磐津文字太夫として常磐津節を、翌五年に宮古路小文字太夫が富本豊前掾として富本節を創始した頃から、江戸歌舞伎音楽の状況は変化していく。それ以前、芝居に出ていたさまざまなジャンルの浄瑠璃は芝居出演の機会が激減し、浄瑠璃所作事は常磐津節と富本節の寡占状態ともいえる状況に陥るのである。しかし、文字太夫も小文字太夫ももとはと言えば、宮古路豊後の門弟であり上方浄瑠璃の系統をひく流派である。彼らが江戸での活動を始めてから、新たな流派を創始してやがて江戸の音曲界を席巻する礎を築いたその時までのわずか五年、宮古路の姓を持つ太夫たちはいかなる語り物を観客の前に披露したのであろうか。本論はその一端を明らかにする資料である。
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