元禄から宝暦・天明までの歌舞伎音楽
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
約260年にわたる徳川幕府の時代には、いくつかの文化興隆の波がある。町衆文化の伝統を受け継いだ上方優勢の元禄文化。八代将軍吉宗による改革とともに、上方文化の影響が江戸に波及し、東西の趣向が混ざり合う過渡期となった享保時代。そして、消費都市として全国の物と人と文化が流入する江戸の民衆が、上方を凌ぐ文化を築いた宝暦・天明文化。ちょうど江戸開府の年、慶長8年(1603)に四条河原で出雲の阿国が「かぶき踊り」を行って以来、一貫して庶民の芸能であった歌舞伎も、いくつもの転換点を経て発展を遂げた。本稿は、上方から江戸へと文化の中心地が移る過程、そして一般民衆が自ら音楽を演奏するに至った時代の歌舞伎音楽について概観するものである。
著者
関連論文
- 「豊後節以前」の音曲詞章 : 延享二年正月
- 元禄から宝暦・天明までの歌舞伎音楽
- 江戸歌舞伎における義太夫節
- 竹内文庫新着資料による「正本による近世邦楽年表(稿)」増補改訂作業
- 江戸歌舞伎演奏者年表 : 享保から延享まで(三)
- 江戸歌舞伎演奏者年表 : 享保から延享まで(二)
- 明治初期の音曲事情 : くにたち版邦楽年表・補
- 正本による近世邦楽年表(稿) : 文化から嘉永3年まで
- 「正本による近世邦楽年表(稿)」について : そのコンセプトと今後の課題
- 豊後系浄瑠璃正本版元考
- 江戸の宮古路節 : 三世宮古路薗八と宮古路綱太夫 (付・宮古路節綜合年表補)