「ヒト胚の倫理的身分」についての福祉哲学的一考察
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概要
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1.福祉社会日本では,人間は皆,不可侵の人格尊厳と生存の基本的権利をもつというのは自明的で基本的な真理とされている。他方,そこでは,成立したヒト受精卵がいつから人格の尊厳を備えた存在となるのかという点は曖昧のままで,多くの初期生命体がその倫理的身分を確認されないまま,医学的研究・実験の材料として,或いは医療資源として,或いは他のあれこれの目的の為の便利な手段として安易に利用されているという現状がある。この事実を前に,最弱者であるヒト初期胚を不可侵の尊厳を備えた人格存在として福祉哲学的に基礎付けようとするのがこの論文の試みである。2.受精卵はいつから尊厳を備えた存在になるのかというこの問題に関して,生命倫理学者たちの立場は三つに分かれる。第一は,受精卵は成立と共に人格の尊厳を備えたものであるという説,第二は,成立後の発育の初期段階である子宮への着床前後とする説,第三は,着床後の発育の後期段階においてであるというもので,或いは脳神経系が活動を開始した時期,或いは身体の主要器官が形成され人間の形態がほぼ整う時期,或いは出生後のある時期など様々に分かれる。この論文では,第一を受精説,第二を着床説第三を発育説と呼んで主張の中身を検討する。3.この論文の立場は上の三つの中の第二の中の一つの立場で,他の諸見解を批判しながら,受精卵は形成後二週間程度,子宮壁への着床が完了し原始線条が出現する所謂,三胚葉期にかけがえのない一人格存在となる,と主張するものである。受精卵はこの時期に初めて自己意識の能力を備えた生物学的自立個体に成るから,というのがその論拠である。しかし同時に,受精卵は初めから,以後の発育方向が確定していることを重視し,人格存在になる以前の発育過程の全段階においても人格存在に準じた前触れ的尊厳をもちその尊重を万人に厳しく求めるものであることを,トマス・アクイナス(Thomas Aquinas, 1225-1274)と共に強調する。