幕末における農村工業の展開過程 : 岡山藩児島地方の場合
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概要
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以上の分析の結果,次の諸点を明らかにし得たと思う.(1)岡山藩南部瀬戸内沿岸の交通の要衝に位置し,諸国物産との交易において早くから貨幣経済の滲透を受けた児島郡地方では,安永〜文政期にかけて急激なる農民層分解が生起し多量の貧農零細層が放出された.(2)かかる貧農零細層の余職として地域的に展開をみたのが,小倉物を主とする綿織物工業であった.漸次進展の方向を辿り,天保年間には独立的副業的家内工業,織元・賃機に分れての問屋制家内工業,賃労働者の雇傭による一定作業場での生産形態をとる産業資本の端初的形態,という3様の経営形態をみるに至った.(3)然し年間7万4,5千両を織出す機業の隆盛が農業部門における余剰労働力を吸収し,地主富農層の農業経営に大なる衝撃を与えるようになると,藩当局は天保末年にみられたマニュ形態・出機制の弾圧策を講じた.(4)一時的に藩権力の弾圧に抑圧されて,マニュ形態・出機制は消滅したかにみえたが,藩権力の弱体-財政窮乏を打開すべく商業資本との結合により財源獲得を企図する-と相俟ってその効力を失い,以後の生産展開面においては,独立的副業的家内工業と共に織元-賃織生産者の対置する前貸問屋制が支配的となるに至った.(5)農民的商品生産としての機業の成果を収奪し,以って財政補強を志向するものとして1機10両引替策,姫路藩との提携策が用意されるが,究極のところ嘉永期に専売制が実施される.それは農民的商品流通路の領主的公認と云う形態をとって実現をみたが,商品販売ルートの無秩序・無権威に起因する市場価格の低廉化,及び大坂問屋資本をはじめとする藩外商業資本の圧迫を絶えず受けていた在方商人にとっては必然の過程であった.(6)嘉永2年実施の専売制においては,藩当局は小倉の領外移出の一部独占,領内配給の独占を行い,正金銀の獲得に加うるに売買利潤の獲得を目指し,直接生産者-小倉商人という旧来の流通ルートの分裂打破及びその直接的掌握を企図した.しかし,零細貧農層を中核とする直接生産者と商人資本との関連は打破できず,現実には小倉商人の密売買,生産の低下という2つの形をとりながら政策の弛緩として現れるに至った.(7)これに対し止むなく藩当局は,商人資本の流通過程への全面的参加を認めつつ,彼等による直接生産者の掌握を狙った.かくて,直接生産者は藩権力,商人資本の絶えざる収奪を余儀なくされるに至った.
- 政治経済学・経済史学会の論文
- 1960-01-31
著者
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