コメント1:「聞くこと」と「書くこと」(<特集>オーラリティとはなにか)
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概要
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オーラル・ヒストリーが論じられるなかで、声が複数性と重層性をもつこと、複数の声と声の複数性を認識しなければならないこと-声は決して、単一の声として把握できないことは、多々論じられてきた。だが、同様のことはその記述に関わっても問われている。声の複数性は記述における論点でもある。歴史学は、1990年代以降、「書くこと」すなわち叙述の問題についての議論をおこなってきた。かかる立場から見るときには、オーラル・ヒストリーは、「オーラル」に議論が集中し、「ヒストリー」であることが忘却とは言わずも、軽視されていたように見える。声の可能性から、声を介した歴史の可能性へ。オーラリティーから、オーラル・ヒストリーへ-その往還が考察される必要があろう。「聞くこと」と「書くこと」とが、ともに考察されねばならないであろうと思う。
- 日本オーラル・ヒストリー学会の論文
- 2008-10-11
著者
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