ポスト・ユートピア時代のインドネシア国家とフローレス伝統村の変容
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概要
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冷戦終結後のポスト・ユートピアの時代において、民主主義は特権的なユートピア理念となった。インドネシアでは、1998年スハルト独裁政権崩壊を機に分権化と民主化という国策の大転換が始まり、グローバル市場経済の影響が加速することになった。地方自治を謳う分権化は、実際のところ、グローバルな政治的磁場の中でトップ・ダウンに施行された。また、分権化に倫理的基盤を与える民主化は、ジャワ人を中心とするエリート統治の選挙による実現という特色をもった。これらのことから、分権化も民主化も、東部インドネシア・フローレス島中央山岳地帯のウォロソコの人々にとって、ユートピアを約束する政策ではないと指摘できる。外部の強大な権力や資本からの相対的不干渉という偶然の条件下、ウォロソコの生活世界は固有の自律性をもち、身体と現環境は相互に織り合わされたものであった。しかし、1980年代の商品作物栽培の導入、1990年代のその急速な普及とそれに伴う農業形態の変化や土地と人々との関係に着目すると、身体と現環境の相互拒絶の状態の中へ、世界の抽象化と記号化の方へと、ウォロソコの人々自ら進んできているのが分かる。このプロセスは、町で出世したウォロソコ出身の男たちによる、儀礼家屋の国民化、伝統の商品化、儀礼リーダー集会の議会化などの推進に顕著な形で現れている。ウォロソコの生活世界のこのような変容は、インドネシア国策の大転換同様、冷戦以降加速したグローバル市場経済の隆盛という場の中で起こっており、(旧)社会主義国の人々を含むその他の人々の経験と同時代のものであり、共通の人類史的意味をもっている。
- 2008-03-31